そこに太陽があるだけで、暖かくなるように、楽しくなるように、優しくなるように。 毎日が日曜日、毎日が夏休み。そんな人に、私はなりたい。
『京都人が書いた「京都」の本』京都ゆうゆう倶楽部 (著)

『京都人が書いた「京都」の本』京都ゆうゆう倶楽部 (著)

『京都人が書いた「京都」の本』京都ゆうゆう倶楽部 (著)
『京都人が書いた「京都」の本』京都ゆうゆう倶楽部 (著)
私の京都についての理解度は「山科は京都市じゃないよ」「でも、山科も、もしかして区?」「ま、別にどっちでもええんちゃう?とにかく山の方で京都市から遠くに離れてるとこにあるえー」だったのですが、この本を読んで何となくわかりました。
私を含め、周囲の大人が昔の言葉のまま、今の京都を生きている。
道に迷ってしまって、道路地図を見るも、そこに描かれているのは平安京の地図。仕方がないから、軒先にかかっている住所表示(仁丹の看板)を見るも、大正時代の住所。家もお寺も100年、200年と溯れることがザラで、家財道具なんかも「使えるものは使わんともったいない」から使い続け、先祖代々同じお店でお買い物をして、そのうちに何だかいろんなことがよくわからんようになってしまって、まっ、ええかと。そしてカオス。
例えば、鴨川は床(ゆか)で、貴船は床(とこ)。でも、貴船の川床料理は(かわゆか)なんですよ。なんでやろうね?ようわからんことは、そのままで通す。それが京都。

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