そこに太陽があるだけで、暖かくなるように、楽しくなるように、優しくなるように。 毎日が日曜日、毎日が夏休み。そんな人に、私はなりたい。
『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』池上 正樹 (著), 加藤 順子 (著)

『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』池上 正樹 (著), 加藤 順子 (著)

『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』池上 正樹 (著), 加藤 順子 (著)
『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』池上 正樹 (著), 加藤 順子 (著)

3.11の大津波で、全校生徒108人のうち、実に74人の死亡・行方不明者を生む大惨事の舞台となった宮城県石巻市立大川小学校。これまで、ひた隠しにされてきた「空白の51分」の悲劇が明らかになった。なぜ、「山さ逃げるべ」という児童の懇願も受け入れず避難が遅れたのか?なぜ、石巻市教育委員会は児童の聞き取り調査メモを廃棄したのか?なぜ、真相解明を求める遺族の声は聞き入れられないのか?膨大な資料開示請求から得た新事実と、行政・遺族双方への緻密な取材によって再検証する、渾身のノンフィクション!

全校生徒108人のうち死亡70名、生存4名、今なお行方不明4名。当日欠席・下校などで生存30名。全教師13名のうち死亡10名、生存1名、不在などで生存2名。学校管理下で起きた悲劇。
生徒全員が無事に避難することができた岩手県釜石市の釜石東中学校との違いが悲しい・・・。(釜石東中学校は当日欠席していた生徒1人が死亡)
最後まで読み通すと、報道の印象とは異なり、A教諭(教員の中での唯一の生存者)が最後まで一生懸命生徒の命を守ろうとしていたことがわかります。「山に避難しましょう」と訴え、校庭と校舎を何度も行き来し、避難先としてどちらが相応しいか考えていたのでしょう。「一人しか助けられなかった」ではなく、一人の命は助けることができたのです。A教諭は賞賛されるべきで、けっして非難を受けるようなことがあってはならない。
ただし、A教諭については、行間から汲み取ることしかできません。いつか、真実を語ってくださいますように。未来につなげるために。
そして只野哲也くん。生存した4名の生徒のうち、一人だけ実名で取材を受けています。強くて、立派です。

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