そこに太陽があるだけで、暖かくなるように、楽しくなるように、優しくなるように。 毎日が日曜日、毎日が夏休み。そんな人に、私はなりたい。
7月24日 山鉾巡行・後祭(あとまつり)、花笠巡行、還幸祭

7月24日 山鉾巡行・後祭(あとまつり)、花笠巡行、還幸祭

150828_1.JPG この数日間で一気に涼しくなってしまいました。祇園祭のころはまだまだ暑かったのにな。7月24日の夕方に京都で用事があり、23日の夜から24日の夜にかけて実家に戻っていました。23日の夜は後祭宵山、24日の朝は山鉾巡行・後祭に出かけましょうという計画。
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150828_3.JPGこれまで祇園祭といえば、宵山が行なわれる7月14日〜16日と翌日17日に行なわれる山鉾巡行が有名でしたが、昭和41年に合同巡行にして以来およそ50年ぶりに、前祭(さきまつり 7月17日)、後祭(あとまつり 7月24日)が復活しました。花傘巡行は後祭と同じ日に実施することに。
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後祭の宵山は昔ながらのお祭りにするために屋台などは出さないと聞いていたので、どんな雰囲気になるのか興味津々でした。とても落ち着いていて良かったです。いわゆるテキ屋さんが出す屋台がない代わりにそれぞれのお店が軒先で自分たちの商品を売り、家宝を展示する家々もじっくり見ることができました。
何も分かっていなかった小学生の頃は、祇園祭=三日間屋台が出る日のイメージで、500円のタコ焼き(あるいはお好み焼き)やあめちゃんを買って、たまに鉾に登る程度でした。大人で小食の今なら、個人経営のイタリアンやフレンチ、和食のお店が軒先で販売するちょこっとしたお料理をつまみ、じっくり美術品を鑑賞する方が胃にも足腰にもありがたいです。
150828_4.JPG山鉾巡行・後祭は、前祭とは逆方向の動きで、烏丸御池→河原町御池→ 四条河原町→ 四条烏丸と巡行します。この写真は、山鉾巡行を烏丸御池である程度見届けたのちに、四条寺町近辺に移動し、花笠巡行をある程度見届けたのちに、河原町通りの六角付近に駆けつけたときの様子。
山鉾巡行は、自分が好きな山鉾をハーメルンの笛吹きのごとく後を追いかけるか、碁盤の目をいかして先回りで追いかけるのが楽しいです。一か所に腰を落ち着かせるのが足腰には優しいのだろうけれども、ね。街は、ふらふら移動する人たちであふれています。
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150828_6.JPG移動途中の錦市場で。はもと鮎と出し巻き卵。
150828_7.JPG四条新町で北観音山、南観音山、そして150年振りに再建された大船鉾を待つ事にしました。
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150828_10.JPG大船鉾が組み立てられる様子が日々妹からLINEで寄せられ、年に数回しか帰省しない割にはたまに京都新聞社のサイトを見てしまう京都人のDNA。友人が教えてくれるまで大船鉾の存在すら知らなかったのにちょっとエラそうな顔をしながら見届けたりして。
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150828_12.JPGよくぞ戻って来た!おかえりなさい!大船鉾!!
150828_13.JPG山鉾巡行のあとは、汗だくのまま用事を済ませ、さてそろそろ東京に戻る準備をしようとトイレに入ったときに聞こえて来たお囃子。還幸祭の神輿に違いない!靴を履いてダッシュ!東御座の櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を激写だぜ!そのまま追いかけたかったけど大人しく東京に戻りました。
ちなみにその日、父が某所での御祓時に裃(かみしも)を着せてもらっていました。テレビに一瞬映ったとのことで、次に帰省した時にスローモーションで何度も見せられることになりました。
家族全員お祭り好き。
衹園祭 衹園祭の主な行事 | 京都市観光協会
衹園祭 山鉾巡行コース | 京都市観光協会
衹園祭 衹園祭について | 京都市観光協会

今からおよそ1100年前の清和天皇の貞観11年(869)に、京洛に疫病が流行し、庶民の間に病人、死人が多数出た。 これは、牛頭天王(ごずてんのう、素盞鳴命ともいわれている。)のたたりであるとし、そのご機嫌をとるため神をまつり、衹園社(八坂神社の前身で、祭神は素盞鳴命)を信仰し、病魔退散を祈願したという。 その方法は、日本全国の国の数に準じて66本の鉾をつくらせ、それを神泉苑(中京区御池通大宮)におくり、悪疫を封じ込む御霊会をおこなったのがはじまりであると伝えられている。

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