己はしだいに世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによってますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外径をかくのごとく、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。今思えば、まったく、己は、己の有っていた僅かばかりの才能を空費してしまったわけだ。人生は何事を為さぬにはあまりに長いが、何事かを為すにはあまりに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己のすべてだったのだ。
静かな時間に、一人でいると、頭に浮かぶ。虎になった、私を。
山月記・李陵 他九篇
山月記・李陵 他九篇