『寝台列車で行こう 』小学館 (著)

『寝台列車で行こう 』小学館 (著)
『寝台列車で行こう 』小学館 (著)
ブルートレイン(寝台特急列車)・・・。
80歳を過ぎたくらいにトワイライトエクスプレスに乗って、大阪から北海道へと旅したい。サロンデュノールで日本海の黄昏を堪能した後は、ダイナープレヤデスでディナー、あやつり人形のお食事のように、ゆっくりと口に運び咀嚼するの。ゆっくりと寝間着に着替え、目覚めた時には窓の外には北海道の大地が広がる・・・。
今だったら、せっかく北海道に行くのであれば北海道マラソンにもエントリーしてBコンパートメントで『格安!眠らないぜ!ノンストップ北海道マラソンへの旅!』(片道2万5620円)と違った方向に進んでしまうこと間違いなし。
今の私にあわせるなら、サンライズエクスプレス。
『寝台特急サンライズ瀬戸 上り』だと大阪にも停車するので、大阪を0時34分に出発し、ノビノビ座席で体力が尽きるまでポーカー、朝食はラウンジで朝焼けを見ながら。東京駅到着は7時8分。『大阪はええとこだっせ!お値段納得片道11,850円!』かしら。
学生ノリのプランしか思いつかないw
#寝台特急列車とは異なりますが、東京ー小田原まで普通列車、青春18切符で小田原からムーンライトながらで大垣まで、大垣から普通列車で大阪まで片道4260円という旅も面白そうです。

『監督心 』保坂 淑子 (著)

『監督心 』保坂 淑子 (著)
『監督心 』保坂 淑子 (著)

【登場監督】
佐々木洋監督(花巻東)/ 中井哲之監督(広陵)/ 宇佐美秀文監督(愛媛県立小松)/ 我喜屋優監督(興南高校)/原田英彦監督(龍谷大平安)/ 坂井宏安監督(九州学院)/ 藤田明彦監督(東洋大姫路)/ 金城孝夫監督(長崎日大)/迫田穆成監督(如水館)/ 宮下正一監督(鹿児島実)/ 田中秀昌監督(東大阪大柏原)/ 川俣浩明監督(藤沢翔陵)/新田紀之監督(加藤学園)/ 高木英臣監督(京都両洋)/ 比嘉公也監督(沖縄尚学)

15人の現役高校野球部監督が、「甲子園」という共通目標に対しての指導術を語る。
中学時代から活躍した生徒が全国からやってくる甲子園常連校もあれば、制服も野球のユニフォームもパンツが見えそうなくらいずり落としてまるっきりやる気のなさそうな高校もある。
三年間恋愛禁止・丸刈りの上、生徒がこっそり炭酸飲料を買っただけで「買うなら皆で買え!一人だけで買うな」と正座の上、練習禁止にする高校もある。
強豪校ゆえ、試合に出られる生徒がごく一握りの高校では、「控えの選手がいるからお前たちが戦えるんだ!」と出場選手に喝を入れる高校もある。
「甲子園」という”夢物語”を”夢”で終わらせないため、また、社会人生活や将来の夢にも応用できるよう、ベンチに辞書を置いておき(すぐ調べられるように)、練習メニューを自分たちで組ませ、大学の相撲部での練習や、サッカーやバレーをトレーニングメニューに加えたり、”サボりたい気持ち”と”スケジュール感覚”を両立させる月一回の有給制度を取り入れたり。その高校は、今年の大会前日、全員で「男たちの大和」DVDを鑑賞したそうです。
それぞれの監督が、現時点で自分がベストだと思うやり方で高校球児を指導している。
スポーツを通して生きることの意味を得て、次の人生に役に立つように・・・。
「甲子園」にふさわしい、熱い一冊でした。

『新版 死の川とたたかう』八田 清信 (著)

『新版 死の川とたたかう』八田 清信 (著)
『新版 死の川とたたかう』八田 清信 (著)
「どうせ電力足りてるんでしょ?原子力発電反対! 」とは思えない。
大飯原発3号機(118万kW)を動かして火力8機(384万kW=赤穂2号機(60万kW) 相生1~3号機(38万kW:3台)姫路第二4号機(45万kW)海南1、4号機(45万kW、60万kW))御坊1号機(60万kW) 以上関西電力「今週の需給実績と来週以降の需給見通しについて」より)を止めるからといって、大飯原発3号機(118万kW)ー火力8機(384万kW)=マイナス266万kWで発電量減っているし!という問題ではないのだろうと思う。故障も相次いでいたし、火力に頼ることでの燃料費増加も喘息も困る。(この報告書によると7月17日から原子力が0になっていますが・・・)経済が停滞するとダイレクトに人が死ぬと思っています。
首相官邸前デモは、私には方向性が見えない。
「放射能をまき散らす原子力発電は廃止しなければならない」と考えているのであれば、外部被ばく・内部被ばくによって免疫力が落ちている今、人ごみの中にいるリスク、β線被ばくまで考えるなら中枢機能の低下による思いがけない人災リスク、首相官邸周辺の土壌汚染。時間とお金をかけて首相官邸前に集合するなら、時間とお金をかけて脱出した方がいいのでは。それとも、汚染されたのは福島の一部だけで、過去のことだと思っているのかな。主張するだけで満足なのかな。
『みんなで決めよう「原発」国民投票』は、私は心配。
111万人の署名を集めても有権者総数の1%にしかならない。設問に廃止も再稼働禁止の文字もない。原発事故後も現職の知事が当選し、相変わらず投票率も低いのに?16歳以上の永住外国人の投票資格付与は「一定の合理性、妥当性があると考えます。」という理由だけでは認めてはいけないと思う。重要なことだからこそ、国民ではなく国が決める方がいいと思う。それに、東京都は事故後すぐに新たな電力確保に向けて動いているのだけど・・・。
放射能はこわいけど、日本には廃炉技術を磨くことで世界を汚した罪を少しでも償って欲しいし、そのためには原子力産業を斜陽にするわけにはいかない。
とはいえ。
「どうせ問題ないんでしょ?放射脳反対! 」とも思えません。
『新版 死の川とたたかう』八田 清信 (著) は四大公害病のひとつ、イタイイタイ病について書かれた本です。実家の病院を継いだ萩野昇医師は、原因不明の奇病で苦しむ女性患者たちが多くいることを知り、国が公害病と認めるまで原因を追及し、戦い続けました。
診察しようと腕に触れるだけで骨折してしまう女性たち。1955年にイタイイタイ病と命名し、以来原因追求に取り組んできました。カドミウム原因説発表後は地元から罵声を浴び、患者は脅迫を受ける。それでも彼は研究を続け、1968年、ようやく厚生省がイタイイタイ病を公害病と認定しました。
水俣病も原因発生から国が認めるまでに約60年かかっていますね。
広島・長崎の原爆症認定集団訴訟は現在も続いています。
「どうせ」は思考停止。

『京都人が書いた「京都」の本』京都ゆうゆう倶楽部 (著)

『京都人が書いた「京都」の本』京都ゆうゆう倶楽部 (著)
『京都人が書いた「京都」の本』京都ゆうゆう倶楽部 (著)
私の京都についての理解度は「山科は京都市じゃないよ」「でも、山科も、もしかして区?」「ま、別にどっちでもええんちゃう?とにかく山の方で京都市から遠くに離れてるとこにあるえー」だったのですが、この本を読んで何となくわかりました。
私を含め、周囲の大人が昔の言葉のまま、今の京都を生きている。
道に迷ってしまって、道路地図を見るも、そこに描かれているのは平安京の地図。仕方がないから、軒先にかかっている住所表示(仁丹の看板)を見るも、大正時代の住所。家もお寺も100年、200年と溯れることがザラで、家財道具なんかも「使えるものは使わんともったいない」から使い続け、先祖代々同じお店でお買い物をして、そのうちに何だかいろんなことがよくわからんようになってしまって、まっ、ええかと。そしてカオス。
例えば、鴨川は床(ゆか)で、貴船は床(とこ)。でも、貴船の川床料理は(かわゆか)なんですよ。なんでやろうね?ようわからんことは、そのままで通す。それが京都。

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』マーク ボイル (著), 吉田 奈緒子 (翻訳)

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』マーク ボイル (著), 吉田 奈緒子 (翻訳)
『ぼくはお金を使わずに生きることにした』マーク ボイル (著), 吉田 奈緒子 (翻訳)
29歳の男性が1年間お金を使わずに生活する実験を行なった、現代版『森の生活』。
お金は大切なものだけれども、お金が大切になっている人が多いように思う。
そして、お金が大切な割には、お金を粗末にしている人が多いようにも思う。
ファストファッションに身をつつみ、ファストフードを食べる。終電に間に合う時間まで安いお酒を飲み、雨の中、駅の側に違法駐輪しておいた自転車で傘さし運転して帰る。2012年なのに、そんな前時代的なお金の使い方でいいのかなぁ?
映画『イントゥ・ザ・ワイルド』のように、人間らしく生きるため、理想郷を求めて葛藤するお話かと思ったら、マーク・ボイルの場合は、経済学→オーガニック食品業界→フリーエコノミー運動から新しい生き方についての構想を練り、準備に半年以上もかけて「カネなし生活」を遂行した。
“自分の頭の中で描く理想”と、”すぐそこに広がっている現実世界”の認識のバランスが秀逸で、”理想を言葉にする力”もある。彼の生き方は、とても沢山のヒントを与えてくれる。
「カネなし生活」の初日が150人分のコース料理(もちろん無料)をふるまうところからはじまるんですよ。読んでいて楽しいし、この新しい経済の仕組みに私も参加したい。

『プロメテウスの罠: 明かされなかった福島原発事故の真実』朝日新聞特別報道部 (著)

『プロメテウスの罠: 明かされなかった福島原発事故の真実』朝日新聞特別報道部 (著)
『プロメテウスの罠: 明かされなかった福島原発事故の真実』朝日新聞特別報道部 (著)
言わずと知れた朝日新聞の連載記事。勝手に「朝日新聞の良心」と名付けて楽しみにしている記事です。本当はもっと書けるんだろうな。いや、書くことができる人がいて欲しいなという希望的観測。